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日立のおすすめ新品・中古ビジネスフォン丨ビジネスフォン図鑑|トラムシステム

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日立ビジネスフォンの特長

日本最大電機メーカーの1社である日立のビジネスフォンは機能性・拡張性に優れています。日立ブランドのビジネスフォンは、日立のOEM(製造を発注した相手先のブランドで販売される製品を製造すること)メーカーであるナカヨが製造しています。

なお、ナカヨのビジネスフォン「NYC」シリーズは「Z→A→E→F→S」の順番で発売されており、日立のビジネスフォン「integral」シリーズと分類の方法が一緒になっています。

こんな人におすすめ

日立の電話機は接続台数によって多様なラインナップから選ぶことができるため、中小企業から大企業まで、あらゆる規模の企業に適しています。 少数のオフィスはtype S、小規模オフィスはtype M、中規模オフィスはtype Lと利用状況に合わせて選択ができる優れた拡張性により大手企業でも多く導入されています。

各メーカーの特長についてはこちらの記事で詳しく解説しています。合わせてご覧ください。

おすすめ日立ビジネスフォン(新品)

S-integral

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多様なネットワークに対応するSmartコミュニケーションを実現するビジネスフォンです。スタイリッシュなデザイン、日々の業務シーンで使える様々な機能、スマートフォンやPCをはじめとする各種システム・サービスとの連携により、業務効率の向上、コスト削減が期待出来ます。

IP-PBX NETTOWER MX-01

豊富な機能、コードレスやホテル用テレホンなど用途に応じて選べる端末、スマートフォンの内線利用、UC対応など充実したスペックで様々な業種や事業形態のお客さまに最適なコミュニケーション環境を提供します。また、業務時間外はタイマーで電源供給を低減させるなど省エネルギーモデルとなっています。

IP-PBX NETTOWER CX-01

進化するネットワーク技術や最新のサービスを取り込みよりスマートなコミュニケーションを実現するIP-PBXです。モバイル端末との連携により、デスクや会議室など様々な場所での業務を可能にします。また、従来のPBX機能もサポートしているため、レガシー・IPに関わらず各企業・拠点に適したシステムの選択が可能です。

IP-PBX NETTOWER CX-01 V2

音声コミュニケーションを起点に新たなワークスタイルを実現するソリューションプラットフォームです。UCによる社内コミュニケーションの活性化やスマートフォンのビジネス利用、BCP支援、通話管理など、近年の新しい働き方に対応しながらオフィスでのあらゆるニーズに応えます。

おすすめ日立ビジネスフォン(中古)

integral-F

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使い易くシンプルなデザインが特長のビジネスフォンです。通話録音を忘れてしまった際、通話の開始まで遡って録音できる「戻って録音機能」や、ビジネスフォンの電話帳を検索してスマートフォンから発信できる「Search & Call機能」「簡易IVR機能」などの多彩な機能で日々の業務をサポートします。

integral-E

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主装置の電話帳を検索して携帯端末から発信できる携帯ブラウザ連携や録音機能など、ビジネスコミュニケーションをより簡単にする多彩な機能を揃えた大企業向けビジネスフォンです。

integral-A

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高い操作性と多機能性で安心して利用できる中小企業向けのビジネスフォンです。主装置は大・中・小と規模に合わせて選択でき、拡張性にも優れています。

ビジネスフォンメーカーの日立とは

株式会社日立製作所は、社会・産業システム、情報・通信システム、建設機械、高機能材料、電子装置システム、生活・エコシステム、オートモティブシステム、その他(サービス)の開発・製造・販売・ソリューション提供、及びこれに関連するコンサルティング・サービスなど、幅広い事業展開を行う総合電機メーカーの1つです。

日立は、鉱山での採掘用のモーターを製造する企業として創業した後、JXTGホールディングス(旧:久原鉱業→日本産業→日本鉱業→ジャパンエナジー→新日鉱ホールディングス)から独立しています。

2017年度の連結業績の売上収益は前年比2.3%増の9兆3686億円になります。連結従業員数は307,275名です。各部門から分離独立した数多くの系列会社が国内外に多数あり、日立グループを形成しています。製品などにおける技術レベルの高さから、技術の日立と言われています。

日立創業の歴史

日立製作所の創業者の小平浪平は、1874年、栃木県の財産家の家に誕生しました。父親は、様々な事業をはじめては失敗し、多額の借財を残して病没しました。兄は第一高等中学校(現東京大学)に通う秀才でした。小平も東京英語学校に通っていましたが、兄弟を学校に行かせるのは困難でした。そのため、兄は学校をやめ、地元の銀行に勤めました。 小平は東京帝大電気工学科(現東京大学工学部)に進学します。

1900年、大学を卒業すると藤田財閥の藤田組に入社し、小坂鉱山の電気技師になりました。この時代は鉱山では電気が不可欠なもので、小平の鉱山でのはじめての業務は発電所の建設でした。変電所、発電所、水路などを設計・施工し、1902年に発電所が完成します。翌年、小平は発電所づくりに魅せられたため、藤田組を辞めます。小坂は、広島水力電気に1年の短期契約で転職し、新妻を伴って広島に移ります。

1904年、小坂は送電主任として東京電灯(日本初の電力会社)に入社します。しかし、発電機がジーメンス社(ドイツ)、水車ではエッシャウイス社(スイス)、変圧器はGE社(アメリカ)と、主要な発電所事業はすべて外国製品の独占であったため、発電所づくりができませんでした。 このときに、小坂は海外の技術に依存せずに日本による自主的な技術を開発したいと思いました。

小坂は久原房之助(日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所社長、久原財閥の総帥)からオファーがあったため、再就職して日立鉱山に赴任します。工作の課長としてのはじめの仕事として、中里発電所を完成させます。電力は不足していたので、石岡発電所も建設します。東京帝大の学生たちが、会社の実習、工場見学によって小坂を魅力に感じたため続々と会社に入社します。

会社の掘っ建て小屋では、電動機の修理のかたわら、電動機の研究を進め、5馬力電動機(モーター)、200馬力電動機を製作しました。 これに自信を得た小坂は、新会社として電気機械を製造するための許可を会社に申し出ます。新工場を建設し、国産という意味を込めて『日立』の社章を創案し、日立製作所の創業となります。

日立の事業拡大

1914年は第1次世界大戦によって、景気が上向いて電力需要が高まってきましたが、外国製品の輸入が途絶したために国産品へ目が向けられるようになりました。しかし、会社へ大量に注文がきたものの、技術力、材料も不足しがちで遮断器が破裂したり、発電機が壊れたりすることが続きます。そのため、原因を徹底的に追求し、実験を重ねて信頼性を高めたことが、日立の理念につながります。順調に発展してきた日立でしたが、1919年、日立工場の変圧器工場からの出火で、精鋭の装置や大型仕掛品の多くを失ってしまいます。

1920年、日立製作所は株式会社となって独立します。この時代は第1次世界大戦の終戦のため不況となっていました。拡張の一途できた久原房之助が社長を務める久原鉱業の経営が厳しくなり、久原商事が倒産しました。

そのため、日立は久原系の日本汽船の工場を買収し、電気機関車の製造を開始します。久原の関連企業として日立製作所は銀行から厳しく査定されましたが、原価をシビアに考え、コスト意識を徹底した経営と、今までの収益を積み立ててきた財務の体質が評価されました。

関東大震災では、他社の工場が壊滅するなかで、日立工場はほとんど無傷で残るという幸運がありました。地方の注文を断り、震災地区の復興を最優先したため、新規顧客をつくることにつながりました。数年後には電気機関車、電気冷蔵庫の開発にも成功します。 世界恐慌の時代には、電力余りで新規受注がほとんどなくなります。

この苦しいときを助けてくれたのが、昭和電工が持ち込んできた余った電気を利用して化学肥料を国産化しようという構想でした。研究開発によって要望数を完納した成功により日立は蘇り、日本を代表する総合電機メーカーに発展していきます。

21世紀以降は経営の悪化に加えて、リーマンショックや東日本大震災等で苦戦していました。社内カンパニー制の導入、不採算の部門の売却や廃止、統合など事業のスリム化を続け、2014年度の決算では過去最高益を上げるまで回復します。

日立の電話の歴史

日立は、1937年に横浜市の戸塚工場で電話機、電話交換機の生産を始めました。100万回の動作試験による品質改善によって、40年使っても故障しない電話交換機をつくります。規模が小さい交換局用に大きな建物を必要としないトレーラー式の電話交換機も発明します。電子交換機、デジタル交換機、テレビ電話の開発や生産を行い、現代までの日本の電話事業発展に貢献していきました。


WRITER

トラムシステム(株)メディア編集担当 鈴木 康人

広告代理店にて、雑誌の編集、広告の営業、TV番組の制作、イベントの企画/運営と多岐に携わり、2017年よりトラムシステムに加わる。現在は、通信/音声は一からとなるが、だからこそ「よくわからない」の気持ちを理解して記事執筆を行う。


UNIVOICEが東京MXの「ええじゃないか」という番組に取り上げられました。

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